私はもうすぐ40歳を迎える音楽家、結婚生活2年目、妻と二人暮らしです。
昨日から思うところあってブログを書き始めたわけだが、今回は自分の自己紹介がてら、簡単に過去を振り返ってみようと思う。
1984年生まれ、石川県は能登半島の出身。
現在は音楽家という肩書きですが、わたしが主にやっていることは、
様々なシンガー、アーティストさんのライブやコンサートに演奏で参加するサポートミュージシャンだったり、
アーティストさんや作家さんの楽曲により彩りを加えるべく、演奏やアレンジ(編曲)で参加したり。
最近はアーティストさんマターではなく、自分がアーティストとして作曲、発信したりしています。
演奏する楽器は主に鍵盤楽器です。
ピアノ、エレクトリックピアノ、オルガン、シンセサイザー、などなど。
過去の自分から考えると、よくこんなお仕事をさせてもらっているな、と思います。
こんなに音楽に染まっている人生は全く想像していませんでした。
何しろピアノを弾くことが全く好きではなかった、むしろ大嫌いだったからです。
わたしは6歳〜高校生まで、おじいちゃんに強制的にピアノを弾くのを強いられてきた人生でした。
うちのおじいちゃんはかなりの曲者で、家庭の中では絶対的存在でした。
ものごころついた時にはもう毎日1時間はおじいちゃんの住む離れに行き、
目の前で「バイエル」(クラシックに入る前の練習曲)をアップライトピアノで弾いていました。
5回正確に弾けるまで帰れない。間違えたら1回目からやり直し。
弾く楽しさを実感することもなく、ただやらなければいけない日々のタスクとしてこなしていました。
なにか理由をつけてサボったりすると呼び出されてビンタ。
やめたくてもやめれません。両親もおじいちゃんには逆らってくれません。
そんな環境なので、中学生になった頃やっとバイエルが終わりました。普通なら3年くらいで終わるらしいです。
こんな家から早く出たい。そう思うようになりました。
中学3年に上がった頃、姉が県外の大学に入学するべく家から出ることになりました。僕も県外に出ればおじいちゃんから離れられるのでは、と思いました。
考えた結果、県外の高専(工業高等専門学校)に行けば学生寮に入らざるを得ないし、勉強の志をもって家から出るという大義名分もついてくる。
高専はレベルが高いと言われていましたが、成績はよかったので推薦で入れました。
見事脱出成功。
と思いきや、学生寮は長期休暇、夏休みや冬休みは閉まってしまうので実家に帰らなければいけません。
実家に帰って待っているのはそう、おじいちゃんのピアノです。
その時ばかりはピアノをおじいちゃんに披露しないといけないので、部屋で弾ける練習用に電子キーボードを親に買ってもらいました。
それでも毎日顔を合わせるよりは100倍ましです。
ピアノを弾くのは嫌いでしたが、その頃はアコースティックギターをよく弾いていました。
時は少し遡って小学校6年の頃、
2つ上の兄がギターを始めたのを見て、何でも真似をしたい弟(わたし)はアコースティックギターで当時流行っていた藤井フミヤさんの「True Love」を弾いていました。
CDと同じ響きがギターから聞こえてくるのが楽しかった。
中学2年になると「ゆず」が流行りだし、昭和以来のフォークブームが到来します。
「ゆず」「19」の真似をしたくて楽譜を買っては弾きながら歌っていました。
好きこそものの上手なれ、ということですよね。
ピアノもこんな感じで始めたかった。
ピアノよりギター、という高校生でしたが、ピアノにハマるきっかけが訪れます。
長くなってしまったのでこの先は次回に。
かんざす
コメントを残す