自己紹介②

私はもうすぐ40歳を迎える音楽家、鍵盤楽器奏者です。

中学生から「ゆず」にハマっていたわたしは、「ゆず全曲集」というアコースティックギター弾き語り本を買い、熱心に真似をし、学園祭ののど自慢大会みたいなものにも友達とエントリーして披露していました。

高校に入ると「アコースティック同好会」というゆるいサークルのようなコミュニティがありました。

放課後に集まってはみんなで演奏して歌ったりするだけの十数人くらいの集まりでした。

学園祭の時期になるとみんなそれぞれエントリーします。

僕も友達と組んでエントリーしたのですが、アコギじゃない他の楽器もあった方がいいという流れになり、僕がピアノを習わされていたということから、ピアノ弾いてよ、と。

バイエルとチェルニーくらいしかやったこと無かった(しかもイヤイヤ)わたしがピアノで弾き語り?

居酒屋のバイトで接客しかしてこなかったのに、急に調理場で料理して。と言われるようなものでした。(?)

それでもギターでコードの知識は少しはあったので、それをピアノに置き換える作業から始めました。

するとどうでしょう。

ギターでは指で抑えるのが難しいコード(dimとかm7(b5)とか)が、ピアノだと楽勝なんです。

弦をおさえる手の形でコードを覚えていたギターは、どの弦が何の音を鳴らしているのか全くわかっていませんでした。

ピアノ(鍵盤)だと視覚的にどの音が鳴っているかわかりやすかったので、何のコードが何の音で成り立っているか、構成音が理解できました。

これは好きで聴いていた曲と、習わされていたピアノが重なった瞬間でした。

今までピアノの練習の中に、自分の中にある「好き」と繋がるものがなかったから苦痛だったのだと、この時気がつきました。

周りにピアノを弾ける人がいないのも功を奏して、何か大きいアドバンテージを手に入れた気分でした。

わたしは良くも悪くも大きい勘違いをして東京に行くことを決めます。

シンガーソングライターになりたかった。

今思えば、それは本当に漠然としたイメージの願望で、

音楽が好きだったからそれに携われることがしたかっただけだったと思う。

音楽に携わって生活をするということは、

ギターやピアノを弾いて、曲を作って歌を歌って、ぐらいしか見えていない視野の狭い18歳だった。

大阪か東京の音楽専門学校に行けばどうにかなるんじゃないか、

そういう甘っちょろい考えのまま親にたのみこんで上京させてもらった。

親には本当に頭が上がらない。

2年間の専門学校学費と寮生活、これだけで400~500万円はしたのではないだろうか。

この頃のことを思い出すと、20年間たった今、本当によくやっていると思う。出来過ぎなくらいだ。

なぜこんなに出来過ぎなことになったのか、次回振り返っていこうと思う。

運とご縁に感謝しながら今日も1日、過ごしていきたいと思う。


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