私はもうすぐ40歳を迎える音楽家、鍵盤楽器奏者です。
2年間の専門学校を卒業する22歳の頃、初めてお金の発生するお仕事を頂いた。
ツインキーボードのセカンドキーボードという役割です。
お誘いいただいたT先生がファーストキーボード。
主にピアノ系を担当。
わたしはそれ以外の鍵盤楽器を担当。
オルガン、ストリングス、シンセリード、ベル系、など。
空間を演出したり、印象的なフレーズを弾いたり。
会場は渋谷のO-EASTというライブハウス。当時演奏する場所としてはとても大きかったのですこぶる緊張したのを覚えています。
この時の演奏料はというと、本番が5万円、リハーサルが1万円。
リハーサルが6日間、本番が1日のみでしたので、合計11万円いただきました。
当時のわたしにとって、演奏をしてお金を稼ぐ初めての経験でしたので、とても感慨深いステージでした。
上京する前はぼんやりと、シンガーソングライターになりたいと思っていましたが、
専門学校に入り自分の知識や経験の未熟さを目の当たりにし、自分が何をやりたいのかわからなくなっていましたが、
なるほど、こういうライブやコンサートで演奏する仕事をしてお金を稼いで生活していく、サポートミュージシャンという道があるのかと気づき、これから何を目指すのか、クリアになったのを覚えています。
卒業すると同時に専門学校の友達4人とルームシェア生活をしようとなり、
家賃16万円の4DKに住むことになります。
4で割って家賃一人4万円。
お仕事はいただけたものの、すぐに演奏だけで生活できるほどではないので、色んなバイトをしました。
日雇いの工事現場、引越し、冷凍食品の搬入、などなど。
演奏のお仕事の依頼や、人脈広げるための飲み会などが急に入ることもあるので、
最終的に安全で時間の融通が効くコンビニで長く働くことになります。
店長がこちらの事情の理解もある方で運が良かったです。
父親に26歳になるまで音楽で生活できるようになれないのなら、就職しろ。
と専門学校卒業前に言われていました。
なんとか人脈を広げて、舞い込んできたチャンスをしっかりモノにできるように練習もして、生活費も稼ぐためにアルバイトする。
朝5時半に起き、6時〜12時までバイト。(長い時は17時まで)
お昼過ぎから練習。
夜はライブ観にいったり飲み会があれば参加したり。
終電で帰ってきて就寝。
朝まで飲みに付き合わされることも。
その時は始発で帰ってそのままコンビニアルバイト、なんて日もあった。
家賃が4万円ならそこまでアルバイトする必要もないのでは、と思うかもしれないが、
ミュージシャンは楽器にお金がかかる。
自前キーボードも高くて持ってなかったのでだいたいレンタルだった。
スタンダードなキーボードもだいたい20万くらい。
キーボーディストは色んな音色を扱うので2台、3台と必要になる。
スタジオや会場に運搬するのには車が要る。
買うほどのお金はないし、買ったところで必要になる日数もそこまでないのでレンタカー。
そして演奏だけではなく、将来的に編曲家、アレンジャーになりたかったので、DTMもできなくてはいけない。
パソコン、オーディオインターフェース、音楽ソフト代、プラグイン。
とにかく必死に勉強して働いて、の毎日だったのを覚えている。
人脈もそこそこに増えてきて、先輩キーボーディストの方からお仕事の話をいただく機会も増えてきた。
現場でまた新しいミュージシャンやディレクターの方と知り合い、またその方々から現場に誘っていただいたり。
どの業界もそうかもしれないが、そうやってアルバイトをしなくても充分なくらい稼げるように少しずつなっていった。
その頃は気づけばもう27歳くらいだっただろうか。
そんな折、東日本大震災が起きた。
原発停止による電気節約の風潮から、ライブなんて言語道断。
自粛ムードになりだいたい3ヶ月くらいだっただろうか。
現場は白紙になり、わたしはコンビニアルバイトに逆もどり。
次回へ続く。
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