わたしはもうすぐ40歳になる音楽家、鍵盤楽器奏者です。
やっとアルバイト生活から抜け出せるかと思いきや、東日本大震災が発災。
26歳のころでした。
またコンビニアルバイトに出戻り。
以前ほどがっつりは入らないまでも、音楽だけではまだ厳しかった。
そういえば26歳までに音楽だけで食えないのなら、就職しろ、と父親に言われていた件ですが、
あっさり解決したのです。
24歳くらいの頃、TVの歌番組での当てぶりのお仕事がありました。
当てぶりとは、演奏するフリをするお仕事です。
なぜわざわざそんなことをするのか。
生演奏はもちろん可能なのだが、そうなると
演奏リハーサルが必要になるのでスタジオをおさえないといけない。
雇うミュージシャン、スタッフが稼働する分の経費も増える。
収録当日もマイクを立てたりバランスをとったり転換も大変。
だったらカラオケでいいから、単価が手頃な若手ミュージシャンに当てぶりをさせれば経費もだいぶおさえられる、という事かと。
ともかく若手ミュージシャンは安いのでそういうシーンで使われやすい。
先輩からこのお話をいただいて無事収録も終わり、全国放送だったので実家にも報告。
TVに映っている息子の姿を見て安心してくれたのでしょう、そこから応援してくれるようになりました。
TVメディアの影響力の大きさに驚きました。
そんな両親の応援も受けながら、災害の自粛ムードにも耐え足りない生活費をアルバイトで粛々と稼ぎ、29歳のころには自分名義の車(軽自動車のバン)も購入でき、なんとか一人前にはなれたのかなという実感はありました。
30歳から現在の10年間はといいますと、
自然と人脈は増え続け、現場で自分の苦手な場面に直面しては勉強し、その繰り返しでやってきました。
そして音楽に対する姿勢、自分との向き合い方が20代、30代で変わってきたようにも思います。
20代の自分の音楽生活を振り返ると、
とにもかくにも音楽で食べるためにどうすればいいのか。
アーティストさんやクライアントさんはキーボーディストに何を求めるのか、どういうプレイヤーが売れっ子になるのか。
それができるようになるにはどんな音楽を聴くのが必要か。どんな機材が必要か。
そういう意識がほとんどでした。
30代になり何が変わったのか。
それは「もっと自分を大事にする」という意識でした。
20代の自分が全部悪かったと思わないですが、その行き着く先は「何でも屋」になるだけだなと。
「何でも屋」を否定しているのではなく、自分がそうなるのは何か違う気がしたのです。
もっと自分が得意なこと、自分のカラーを色濃くしていく、もっと自分が楽しいと思える方向に舵をとっていいのではと思いました。
自分が好きなことをのばしていく、というか勝手にのびるのだと思いますが、その先で
「こういうアプローチを弾かせたらあの子だよね」「あの子ならもっと良いアイディア出してくれる」
という評判につながって、
こちらがクライアントさんに合わせるのではなく、クライアントさん側がこちらのカラーに合わせて声をかけてくれる、という風になると思っています。
実際にそういう売れっ子ミュージシャンは周りにたくさんいます。
売れっ子が目的ではなく(もちろんなりたいが)、
自分が楽しいと思う事を看板にして生活している、というのが目的で、
お金と評価は勝手についてくる。
そういう方が幸せなんじゃないかなと思ってきたわけです。
これは30代に入って生活に余裕が出てきたわたしだから思えた事なのだと思います。
そんな意識になった30代を過ごし、まもなく40歳を迎える今、
自分の音楽生活をどう感じているのか。
また次回。
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